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私と母親の確執

私の場合、片親で母親に育てられたのですが、筆舌に尽くしがたい苦しみがありました。母親はまともに話が通じないので、母親は完全に頭がおかしいと思っていました。

 

しかし、「母親の頭がおかしい」というのは解釈で、この解釈が怒りを生んでいた面もあります。

 

正確なことを言うと、母親の頭がおかしいのではなく、母親は感情(右脳)で考えていたのに対して、私は理屈(左脳)で考えていたので、いくら話をしてもかみ合わなかったのです。

 

父親がいないため家計のことで不安になり、仕事をしだしてからはお金の不安を解決しようと勉強しました。

 

結論、お金の管理はシンプルで、「収入ー支出=利益」の公式に基づいて黒字になっていれば、とりあえずOKということがわかりました。まずは自分の食費と公共料金の按分額を特定し、その分は家に入れるようにして、家計全体の黒字化を目指しました。

 

ところば、母親は全く協力しないどころか、文句を言い出したのです。「レシートを集めておいて」と話してもやらないどころか、「こんなことしている子供なんていない」と言って、全く協力しないのです。

 

私は怒り出しました。「そもそもお金のことで私を不安にさせておいて、それを好転させるためにやっているのに、なぜ協力しないんだ?」何度話をしても平行線でした。

 

私は決めました。「じゃあ私も協力しない、金銭的援助は一切しない」と決めたのです。

 

そして10年たった後母親は言いました。「お金って無くなるんだね・・・」

 

これほど愚かな人間がいるのも驚きでした。1か月で5万円赤字ならば、1年で60万円赤字です。10年たてば600万円消えるのです。それを、実際に10年たたなければわからないというのは理解できませんでした。

 

私は以前に聞いていました、「もしお金が無くなったらどうするの?」と。

答えは、「おばちゃんになんとかしてもらうかな」でした。

 

私は絶句しました。

 

しかし、いざお金が無くなってこの話をすると、「そんなこと言っていない」と自己正当化しだしたのです。私は怒りを通り越して発狂しました。

 

私の想いを踏みにじり、家庭の経済的状況まで破綻させた母親を、私は許せませんでしたが、母親は私のせいだと言ってくるのです。私が家にお金を入れないのが悪いのだと。

 

そもそも、上記のことは、父親と母親がやるべきことです。母親が離婚し、父親がいない状況に陥ったため、経済的苦境に直面したわけですから、私の話を聞いて私と協力しなければいけない状況だったはずなのです。しかし、子供にそんなこと言われたくないというプライドから、母親は私の話を聞いて学び、状況を改善するという選択をしなかったのです。

 

これはお金以外においてもほぼ全てそうでした。私の部屋に勝手に入ってくるのをやめてほしい、私の私物の管理に口出しするのをやめてほしい、私が身だしなみを整える方法に口出しするのをやめてほしい、そういってもこちらの話は全て無視していて、母親が言動を変えることはありませんでした。

 

私はある段階から壊れ出しました。18歳の時から心理カウンセラーに相談したりしていたのですが、カウンセリングに意味はありませんでした。なぜならただお話をきいてもらっているだけだからです。カウンセラーに能力がないというわけではなく、カウンセリングというのはそのようなものなのです。お話を聞いてもらっても状況は改善しません。状況を改善できるものは、この世で唯一「行動」しかないのです。

 

 

しかし、私が一歩大人になることを学ぶこともできたはずです。

 

・母親としてのプライドを尊重する

・両親の離婚によって私が不安にさせられていると解釈するのをやめる

・理屈が通じなくても私から家計を援助する

 

つまり、理屈を指針とするのではなく、感情を指針とすることもできたかもしれません。ですが、それは当時の私にはできなかったのです。私はある本を読んで「感情ではなく理屈で行動する必要がある」と学んでいたので、当時はその教えを固く信じていたのです。

 

結局、私は北風と太陽で言えば北風になってしまい、いくら理屈で的確に話しても母親が心を開いて協力することは一切なかったのです。むしろ理屈を無視して、母親の立場と感情を尊重する必要があったのです。

 

これがこの世の愚かな人たちの一例です。みなさんはこのようにならないことを私は心より願っています。みなさんが幸せでありますように。